卑屈な心、ブス心。
人は、同じような感覚の人と連もうとする傾向があります。
それは、価値観や、お金の使い方、美意識なども含めて。
なので、
可愛くなりたい!
綺麗になりたい!
と思ってる人は、
「わたしはブスです」
なんて台詞を息をするように言ってる人の近くには
寄らない方がよいと思う。
「わたしはブス。でもあなたは可愛いです。」
って言ってくる人も要注意。
自分を卑下する言葉を簡単に吐いて、同時に相手を持ち上げる人は
何かにつけて美醜を理由に嫉妬したり、僻んだりするようになるから。
そして、「ブス」なんて言葉は自分自身も言わないこと。
そもそもそんなこと言ってもどうにもならないしね。
言っても「ブス」は「ブス」のまま。
変わろうとしないんだもの。
*
わたしは、「ブス」とは卑屈な心のことだと思っています。
太ってようが、ガリガリだろうが、
顔のパーツが整っていようが、そうじゃなかろうが、
「ブス」であることとは、
見た目や体型では判断ができない、内面の話だと思うのです。
自分がブスだと思ってて、なおかつブスをやめたいなら。
「わたしはブス」って聞かれてもいないのに
わざわざ宣言しないとこが始まりだと思う。
「わたしはブス」って言ってる人は、
多分、そのままがいいんだろうなって思う。
上手くいかないことを全て
「わたしがブスなせい」に置き換えてるから。
ブスから脱したいなら、
まずは呪詛を自分で自分にはかけない方がいいよ。
ゆゆ氏としては、「わたしはブスだから…」って言われたら、
まぁ本人がそう言うんだからそうなのね、あなたはブスなのね!
としか思わなくなった。
でももしそういう人に
「そうだね!あなたはブスなのね!」って言うと、
きっと傷ついたポーズをするんだと思う。
あの人にブスって言われたって。
「ブスです」って自分で言ったのにね。
「ブスだなんてひどい!そんなことないよ〜!」
「そんなこと誰に言われたの?!」
なんて言葉を待つポーズがもはや、卑屈=ブスなのかもしれないけど。
何度も言うけど、ブスって、本人が自分で言ってるのよ。
ブスであることは理由にならないよ。
見た目磨いたって、何したって、
その自分のことを簡単に卑下するような卑屈な性根を変えないと、
なんだって上手くいかないし、上手くいった実感も得られない。
*
逆境を何かと外見とかぱっと見の印象のせいにするのは、
物凄い自信であり
驕りであり
実はナルシシズムの塊なんだと思ってる。
「わたしはブス/ブサイクだからさ〜」
「恋人/結婚ができないのは、この見た目のせい」
「自分ってセカンドっぽく見られやすいんだよね」
「都合のいい存在に見られるの辛い〜〜」
なんて。
なんやかんやで、そんな風に言ってても、
しかもそういう人は大体「自分が嫌い」とか言うけど、
「上手くやれる自信がない」とか言うけど
結局はそんな自分のことが大大大好きなんだよね〜ヽ(o´∀`o)ノ
自分のこと大好きなら、そう言ったらいいよ。
それはそれで最高じゃん。
嫌いな自分だって、自分だもの。
変わりたいなら変わればいいし、そのままだっていい。
一番たち悪いのは、自分でダメって思ってるのにそのままにしてること。
ゴミはゴミの日に出しておかないと、
どんどん片付けが億劫になって、
果ては部屋がゴミ屋敷になるのと一緒。
卑屈な心、ブス心。
さっさと捨てて、素直になりたいあなたのお話しをしましょ。
その点猫はいいですね!
彼らはいつだって、素直です。