toggle
2017-06-21

卑屈な心、ブス心。

人は、同じような感覚の人と連もうとする傾向があります。

それは、価値観や、お金の使い方、美意識なども含めて。

 

なので、

可愛くなりたい!
綺麗になりたい!

と思ってる人は、

「わたしはブスです」
なんて台詞を息をするように言ってる人の近くには
寄らない方がよいと思う。

 

「わたしはブス。でもあなたは可愛いです。」
って言ってくる人も要注意。
自分を卑下する言葉を簡単に吐いて、同時に相手を持ち上げる人は
何かにつけて美醜を理由に嫉妬したり、僻んだりするようになるから。

そして、「ブス」なんて言葉は自分自身も言わないこと。
そもそもそんなこと言ってもどうにもならないしね。

言っても「ブス」は「ブス」のまま。
変わろうとしないんだもの。

 

 

 

わたしは、「ブス」とは卑屈な心のことだと思っています。

太ってようが、ガリガリだろうが、

顔のパーツが整っていようが、そうじゃなかろうが、

「ブス」であることとは、
見た目や体型では判断ができない、内面の話だと思うのです。

 

自分がブスだと思ってて、なおかつブスをやめたいなら。

「わたしはブス」って聞かれてもいないのに
わざわざ宣言しないとこが始まりだと思う。

 

「わたしはブス」って言ってる人は、
多分、そのままがいいんだろうなって思う。

上手くいかないことを全て
「わたしがブスなせい」に置き換えてるから。

ブスから脱したいなら、
まずは呪詛を自分で自分にはかけない方がいいよ。

 

ゆゆ氏としては、「わたしはブスだから…」って言われたら、

まぁ本人がそう言うんだからそうなのね、あなたはブスなのね!

としか思わなくなった。

 

でももしそういう人に
「そうだね!あなたはブスなのね!」って言うと、
きっと傷ついたポーズをするんだと思う。

あの人にブスって言われたって。

「ブスです」って自分で言ったのにね。

「ブスだなんてひどい!そんなことないよ〜!」
「そんなこと誰に言われたの?!」

なんて言葉を待つポーズがもはや、卑屈=ブスなのかもしれないけど。

 

何度も言うけど、ブスって、本人が自分で言ってるのよ。

 

ブスであることは理由にならないよ。

見た目磨いたって、何したって、

その自分のことを簡単に卑下するような卑屈な性根を変えないと、

なんだって上手くいかないし、上手くいった実感も得られない。

 

 

 

 

逆境を何かと外見とかぱっと見の印象のせいにするのは、

物凄い自信であり

驕りであり

実はナルシシズムの塊なんだと思ってる。

 

「わたしはブス/ブサイクだからさ〜」

「恋人/結婚ができないのは、この見た目のせい」

「自分ってセカンドっぽく見られやすいんだよね」

「都合のいい存在に見られるの辛い〜〜」

 

なんて。

なんやかんやで、そんな風に言ってても、
しかもそういう人は大体「自分が嫌い」とか言うけど、
「上手くやれる自信がない」とか言うけど

 

結局はそんな自分のことが大大大好きなんだよね〜ヽ(o´∀`o)ノ

 

自分のこと大好きなら、そう言ったらいいよ。

それはそれで最高じゃん。

嫌いな自分だって、自分だもの。
変わりたいなら変わればいいし、そのままだっていい。

一番たち悪いのは、自分でダメって思ってるのにそのままにしてること。

ゴミはゴミの日に出しておかないと、
どんどん片付けが億劫になって、
果ては部屋がゴミ屋敷になるのと一緒。

 

 

卑屈な心、ブス心。

さっさと捨てて、素直になりたいあなたのお話しをしましょ。

 

その点猫はいいですね!
彼らはいつだって、素直です。

関連記事