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2018-02-12

「忙しい」ということから思うこと

みなさんこんにちは。

12月頃からのドタバタ感がやっと落ち着いて、久しぶりに何にも予定のない1日を過ごしたように思います。

なーんにも予定がないって、とってもいいですね!

予定つめつめで動いていた過去を思い出すと、随分無理していたんだろうなって痛感しました。

 

 

わたしの元を訪れるお客さんや、TwitterなどのSNSを見てくれている人たちは、ほとんどがお勤めの方。

社会に出て働くってことは、とっても大変なこと。いろんな人と接しなきゃいけないし、日々いろんな問題は発生するし、企業に務めていれば、自分の思い通りにいかないことの方が多いように思います。特に人間関係なんかは悩みの種になりやすいですかね。

思いがけず嫌なこと言われることもあるだろうし、なんで自分が…って思うこともあるだろうし。年数重ねれば責任も重くなったり、求められることも多くなります。

そうした毎日を送っていると、自分の時間というものはなくなりがち。休みが2日間あっても、1日は家のこととかたまっていたタスクやって、1日は誰かとの予定が入ってて…とか。

 

となると、自分一人でぼんやりする時間って、本当に少ない。

 

わたしも久しぶりに、時間とやることに追われる日々を送ってみて、自分が忙しくなると何を犠牲にするかがよくわかりました。

今日はたっぷりの自由時間がある、とわかったときに、一番に思いついたのが「料理」だったんですよね。

なので、先日旦那ちゃんが買ってきた電気タジン鍋を使って、朝から野菜たっぷりの鍋を作ったりしました。これ、めっちゃ便利です!

 

昨日は、愛読書を引っ張り出して、食材の知識をもう一回おさらいしたり、未病レベルの不調の改善が狙える知識を調べたりしてました。最近は、自分のために中医学をもう一回勉強し直そうと思っております。

 

 

実際、コンビニもスーパーもあるし、福岡は外食がどこもべらぼうに安くて美味しいので、正直自分で作らなくてもなんとかなります。なんなら自炊よりも凝ったものを安く食べられるということもあります。

でも、ここしばらくは、わたし自身食べることや料理が好きなのにも関わらず、料理をする時間を犠牲にして、毎日に取り組んでいたよう。

 

それは一見やりがいがあることだけど、何かを犠牲にして得るものは、負担が大きいです。

 

ここまでなんとか体調こそ崩すことはなかったのですが、絶対に崩さないように自分の体調を管理する中で、睡眠が1番大切にしていました。でも、あくまでそれは、自分の体調管理の最低ラインを保つためのもの。

人の心を豊かにするための心の栄養というか、癒される時間というものが、わたしは「料理をしている時間」なんだなと痛感すると同時に、その心の栄養を補うような時間を削るから「忙しく」なるんだなと思ったのです。

ただ補給するだけの食事ではなくて、準備して、作って、完成して、盛り付けて、片付けて…という手間や工程には、実は大きな意味があったんですね。

 

忙、という感じは、りっしん偏に亡くなる。

心が亡くなる、と書きます。

 

本来、体の一番削ってはいけない部分と同じように、心の栄養源も大切にしてあげたい。体は目に見えて不調というものがわかりやすいけど、心って触ったり、見たりできないもの。だからこそ削りやすいし、削ってもわかりにくいし、削りすぎたりすると修復にも時間がかかります。わからないから、

 

わたし自身、心が悲鳴をあげるような状態では無いものの、自分で作ったものを美味しくいただける時間に多幸感があったのを思うと、こうやって気付かないうちに蝕まれていってしまうのかな…と、ちょっと怖くなりました。

 

 

なーーーんにもしなくていい時間ができたら、あなたは何をしますか?

ひたすら寝たい!

行きたかった場所に行きたい!

運動したい!

大切な人に会いに行きたい!

きっと、それがあなたが毎日を過ごす中で削りがちで、でも本当は削ったり後回しにしてはいけないことなのかな、と思うのです。

 

もし今すぐにはできないことでも、まずは自分一人で過ごす休みをどこかで1日設けてみて。誰かと会う約束なども無い、全く真っ白な1日。

それか、毎日の隙間時間に、削っていたものをちょっとでも取り入れてみませんか?

 

体の不調よりも、心の不調はカバーが難しいです。

日々、ちょこっとずつでもいいので、自分に優しく接する時間がありますように。

 

 

 

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